2005年07月12日

篠田 青の『東京青松の道/東京青松から』
 プロローグ 「連載開始にあたって」

 再掲載された挨拶文、『延長/絵美香』をご覧になった皆さんにはどのように感じられましたでしょうか。今回もまたプロローグな内容となりますが、どうかお付き合い下さい。

 たくさんの方に『延長/絵美香』の感想を書いていただけたこと、改めて御礼申し上げます。挨拶文や対談でも分かる通り、僕は現在の演劇に疑問と不満を感じています。ですから、青松は演劇を見たことがない、または演劇に馴染めない人の方を向いているのです。そうした方々からたくさんの好意的な感想をいただけたことは、大きな喜びでした。

 一方で、青松が現在の演劇を楽しめる人(=演劇人)に違和感を与えるのは当然ですし、批判的な意見のほとんどは、そういう方からのものでした。もっといえば、現在の演劇のルールに基づいた批判でしかありませんでした。僕は、演劇人を否定はしません。しかし、彼らの頭の堅さと、その堅さに基づいた思い上がりは、断固否定します。

 なぜ僕の文章が怒りを帯びているのか。演劇人からのみ聞かれた「『青松』っていうけど、『青』だけだった」という言葉がそうさせるのです。原点を団体名に刻みこむことの意味も価値も考えずに、個人を中傷すること。自らの考えが足りないとは思いもしない、その身勝手さに怒りを覚えるのです。そしてその身勝手さは、「青松を現在の演劇のルールの中でしか評価しない」という狭さとしても表れます。

 しかし、そうしたごく少数の無理解は、多くのご支持のありがたみをより強く感じさせてもくれました。これから始まる連載は、『延長/絵美香』を楽しんで下さった方や、残念ながら劇場に来られなかった方に向けて展開するものです。

 題して『青松の道』。

 青松の目指すものは何なのか、また、なぜそれを目指すのか。プロデューサーの僕が『青松から』、僕の友人で、観客代表の星屋心一が『客席から』と、異なる視点で綴っていきます。星屋心一が観客代表となった決め手は、彼がアンケート用紙に書いてくれた感想でした。友情に溢れていたからとか、好意的だったからではもちろんありません。『客席から』のプロローグとして、その感想も掲載いたします。皆さんと同じように客席に座っていた彼が、何を感じたのか。ぜひお読み下さい。【次を読む】
posted by 東京青松 at 00:00| 東京青松理論