2005年07月21日

篠田 青の『東京青松の道/東京青松から』
 最終回 「新しい演劇」

 TVというものは飽きられやすく、作り手たちも常に新しいものを探しています。いわゆるトレンディードラマに限界が見えてきたとき、脚本ではなく、演技や演出(カメラワークを含む)の変革が試みられました。回転の早いTV業界において、単純に手っ取り早い方法だったからです。そしてTVは、演劇を利用しました。映像に比べてはるかに狭く、それゆえ表現欲が野放しになっていた演劇は実に「斬新」でした。演劇人たちの過剰な表情や動作を許し、さらにアップを多用するというえげつなさは、映像による物語を粗悪なものにしてしまいました。

 付け焼刃の新手法はすぐに飽きられてしまい、そのようなTVドラマも数を減らしつつあります。しかし、演劇人という歪んだブランドは定着しました。落ち着きを取り戻したカメラワークに隠れて、表現欲は今日もTVに溢れています。演劇を志す人の目にそれが成功例と映ることが、何よりも哀しいのです。

 演劇とは、もっと豊かで素晴らしいものです。色々なことが画面の中に収まってしまう現代において、「どこまでも生である物語」は重要な役割を持つと信じています。だからこそ僕は、演劇の再構築の必要性と方法論を述べてきました。プロデューサーのみならず、脚本家、演出家、役者、そして何よりも観客として、多角的に取り組んだつもりです。

 このような理念に基づいて創られる青松の演劇は、演劇人の目には受け入れ難いものに映るでしょう。発声がなっていない、表現がなっていない、舞台の使い方がなっていない、と。しかし、劇場に来た観客が体験する青松の演劇は、オーソドックスでありながら、新しいものなのです。想像力を要求される、観客参加型の演劇。当然、観劇には集中力が必要ですから、上演時間も長くはありません。観客と役者が物語を共有する濃密な時間こそ、青松の目指すものです。観客の「観劇力」で物語は密度を上げ、小劇場を満たしていくでしょう。

 さて。想像力をお持ちのみなさんは、もうお気づきですね。青松の成長は、みなさんの観劇力と共にあるのです。その過程を見守り、共に歩んで下さることを、青松から、改めてお願い申し上げます。【次を読む】
posted by 東京青松 at 00:00| 東京青松理論