2005年07月26日

星屋心一の『東京青松の道/客席から』
 その1 「台詞づくり」

『延長/絵美香』の台詞の特質について考える。

 舞台で台詞を聴いて、自然な台詞回しだと感じられた方は多いだろう。だがその「自然」の徹底ぶりはすさまじいのだ。

 一例を挙げよう。『絵美香』には四人の男女の集団が登場する。彼らの対話を中心として物語は進行していく。が、芝居を見終えた私たちはこの集団が「いったい何の集まりか」を知ることはない。もっと言うと、彼らの年齢や職業も知ることはない。

 これが『延長/絵美香』の台詞づくりのルールなのである。それは「対話者たちが自明としていることに言及しない」というものだ。四人の集団にとって自分たちがどうして出会ったのか、どうして集まるかは互いにとって自明の事実である。だからわざわざ話す必要はない。彼らの年齢職業も同様である。

 ところで「説明ぜりふ」を消すのはシナリオの初歩のルールである。そして、それらの説明をシナリオにうまく挿入することが技術となる。つまり「懐かしいね。軽井沢」とか「そういえば最近の学生の様子はどう?」などを挿入することで、違和感なく集団や職業の情報を観客に伝えようとするのだ。

 青松の驚くべきところは、この挿入という「演劇の都合」を可能なかぎり排除していることにある。彼らはその場で気のおもむくまま話すことになるのだ。つまり、青松の舞台の上ではキャラクタは真実等身大を生きることになる。また『アール・コリン』という劇場の小ささ(失礼!)は、日常と同量の発声を可能とするだろう。

 しかし等身大の日常をいくら積みかさねてもドラマは生まれない。ここに一つの問題がある。青松の解決策は、演劇にとってあまりにも意外な手法であった。それは暗転(照明を暗くした場面転換)の多用に求められるだろう。

 次回は青松独自の暗転について論じる。【次を読む】
posted by 東京青松 at 00:00| 作品解説・植林一本目篇