2005年08月02日

星屋心一の『東京青松の道/客席から』
 その8 「『延長』論2・不思議な愛について」

 個人の無力を描いた物語が絶望でないことは、考えてみれば不思議である。しかし『延長』を見た実感としてそれは変わらない。その不思議な出来事を演劇ではカタルシス(浄化)という言葉で説明している。悲劇は魂を浄化する。そのことの意味を、私は作品に触れてあらためて考えさせられた。

 ――男:「不思議な関係だよな。俺はお前のことを何にも知らない。お前も俺のエロ以外は知らない。でも、知ってるんだよな。さっきみたいにさ。」

 この「さっき」とは、男の気持ちをハルカが理解していたことを指す。しかしハルカは「プロだもん」とそれを説明していたのだ。風俗嬢とお得意さんの間柄をわざわざ「不思議」だと言うこと。男の愛の、あまりにも無防備な表現。このきわめて私的なふるまいを、観客である私たちはまざまざと見せられるのである。

 登場人物と観客の関係は不思議だ。風俗嬢に恋するというありきたりの悲劇。その悲劇を目前にする瞬間、男の心が自分のことのようにリアルに届く。男の言う「不思議な関係」とはつまり「愛の関係」である。そして観客は男に対して、まるで愛するもののように出会うことになるのだ。

 ――男:「んー、あれはさ、その場の関係だからいいんだよ。そこを超えて恋愛をするとなると障害が多すぎるじゃないか。」

 後悔という男の傷がわずかに、だがはっきりとあらわれている箇所である。登場人物と観客も「その場の関係」を持っている。その場の関係であるのに、悲劇の主人公の裸の魂に触れて、観客は彼に愛のようなものを感じる。彼は現実には存在しないはずなのだ。その障害を、私たちはやすやすと越えている。

 虚構という「ハルカなもの」のあるがままの魂に触れて愛すること。それが観客自身の魂の浄化に導くのだと私は思う。この精妙な演劇的現象が『延長』にはある。もっと言えば、『延長』という短い作品は、この不思議な愛のためにのみ奉げられていたのではないだろうか。この愛について、私は『絵美香』論で再び語るだろう。【次を読む】
posted by 東京青松 at 00:00| 作品解説・植林一本目篇