2006年03月01日

星屋心一の作品解説・植林二本目篇
 その3 「衣裳という要素」

『たからもの』の登場人物の名前は、昔話やファンタジーのそれである。しかし、舞台に現れた彼らの衣裳は意外である。チグハグな印象さえ抱くかもしれない。彼らがどんな服装をしていたか。それを具体的に見てみよう。


★隊長=水色のジャージ(長袖&膝丈)と水色のスニーカー。

★姫=白Tシャツの上に蛍光レッドのジャージ(長袖&膝丈)・オレンジのスニーカー。

★王子=スーツと革靴。途中から上着とネクタイを外し、ワイシャツの襟ボタンを外し、袖もまくっている。靴もカジュアルなものに履き替えている。

★王=青いタートルネックの上に白衣、足下は霜降りの靴下に白のサンダル。

★王妃=ピンクのナース服に同色のナースサンダル。

★魔女=黒いワンピースにカーディガン。要するに魔女っぽい格好。登場人物中、唯一の素足。

★小鬼=緑のパーカーにジーンズ、茶色のスニーカー。アースカラーを意識している。

(以上★の記述は篠田青の手によるものである。執筆と、掲載の許諾を記して感謝する。)


 王妃に注目しよう。ナース服を着た王妃は、ファンタジーのパロディのように映る。だが、パロディという納得は、王妃がナース服を着る世界の必然があるのか、という問いの解答として不十分である。まず、彼ら登場人物が、その衣裳を単に受け入れている事実を確認すべきだ。「地球によく似た星」のルールは私たちの住む地球とはやはり違うのだ。つまり、衣裳は作品世界の異質さを報せる効果を持っている。

 しかしナース服は私たちの世界の「制服」である。舞台ではもっと抽象的なファッションの選択がありうるのに、何故既成の「制服」が用いられるのか。あわてて付け加えれば、本作品には「他に衣裳が作れなかったから」という表現のゆるみはない。既成の衣裳をまとう登場人物を眺める内に、もう一つの効果が現れてくる。

「制服」の使用によって、既成のイメージを喚起しやすい。ナース服を着て落ち着いた言動をする王妃には、「人を癒す」ことを常とした人格が感受される。ここにはナースへの日常的な意識が物語を観る上での導きとなることが分かるだろう。それはラフな開業医然とした王も、ジャージを着た姫・隊長、そして王子も同様だろう(特に王子の服装の変化は、スーツへの私たちの意識から、彼がくつろいでいる事実を、すんなりと伝えることに成功している)。

 異質さを印象づけながら、同時に日常的な衣服の感覚を持つこと。『たからもの』の衣裳から感受される物語世界は、このように奇妙な二面の効果を持つ。ここにはかって見たものが、別の価値をまとって私たちの前にある。王妃もナースも私たちのイメージではお馴染みの存在である。だが、ナース服を着た王妃が演じる過程で、「王妃=ナース」は真新しいイメージの結合として出現する。

 ここには、既成の要素に新たな意味を吹き込む結合の意志がある。少なくとも演劇においては、その結合の意志を持つ者だけが新しい表現を生み出すことは間違いない。王や王妃が、私たちの知るイメージ通りの衣裳を着ていたとしたら、と考えてみよう。そのとき、彼らが現代語を話すことが違和感となるだろう。異世界を表現するに際して、それは表現のゆるみとして存在してしまう。

 既成の要素の混入は、生身の人間が演じる演劇には避けられない。だから既成の要素の結合に明確な意志を持つことだけが、確固たる物語世界を生むのである。その明確な意志について、私は衣裳に関してさえ、全てを解明してはいない。だが、『たからもの』には真新しさを志向する明確な意志が存在する。衣裳という要素から、その一端を垣間見ることができるだろう。【次を読む】
posted by 東京青松 at 00:00| 作品解説・植林二本目篇