2006年03月02日

星屋心一の作品解説・植林二本目篇
 その4 「パロディという要素」

  ――やがて、姫が隊長に斬りかかる。
    スローモーション。
    隊長、下から斬りかかる姫の両腕を、そのさらに下から斬り上げる。
    姫の剣は空中へ。(一場冒頭のト書きより)

『たからもの』冒頭の場面であり、いきなり問題箇所である。二人が稽古を行う「殺陣」。隊長が姫の剣を跳ね上げている。それがスローモーションで演じられている。実は舞台では、「隊長」がゆっくり動くさ中、「姫」がくるくると刀を回しながら、やはりゆっくりと後方に刀を運んでいる。つまり、剣が撥ねた瞬間、姫は空中の「剣」の動きを表現しているのだ。そして彼らの持つ「剣」はSF的な武器を彷彿とさせるものである。

 これが映画のパロディであることは見やすい(第一稿で私は『スターウォーズ』のパロディと断じたのだが、篠田青から誤りを指摘された。あるアニメがモチーフになっているそうだ。謹んで訂正する)。この場面は映画(アニメ)のアクションと映像効果を、演劇で演じ直しているのである。そのことで、小さな舞台で物が飛ぶ乱暴さを避けてもいるが、演劇・お笑いなどのギャグとしては「ベタ」として理解しうる場面である。しかし、前回の原稿にも書いたが、パロディという納得だけでは世界の必然を納得することにはならない。事実、この場面では単にギャグとは扱えない印象が作られている。

 この動作が始まる直前、エグゼクティブ・プロデューサーの篠田青による「前説(ご挨拶)」の言葉がスクリーンに投射されている。そこには、「この物語は、お客様の想像力で厚みが出るようになっております。/偶然居合わせてしまった別れ話のように、息をひそめて、耳をそばだてて、なおかつ食い入るようにご覧いただければ幸いです。」という文章がある。だから私たちは、この場面を「食い入るように」観て、想像し、「厚み」を見出すことが指定されているのだ。

 だからこの場面を見て私は動転したのである。「すわ」と心で叫んだ。文字通り、自分の想像を超えた出来事を想像することの緊張である。一見「ベタ」なギャグから、はるかに異質の「想像」を要求すること。私は姫を眺めながら「剣」が空中に浮かんで回転するさまを想像しようとした。それは私にとって、困難な作業であったことは告白しておく。しかし、前回の「衣裳」と同じく青松には既成の要素に新たな意味を吹き込む結合の意志があること。そして、植林一本目において徹底したリアリズムの演技手法を用いた青松が、リアリズムという枠に縛られない発想を持つことは確認できるだろう。【次を読む】
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