2006年03月25日

星屋心一の作品解説・植林二本目篇
 最終回 「世界というファンタジー」

 こうして物語は終わる。しかし、私は『たからもの』という物語の余韻にまだとどまろう。たとえそうしても、『たからもの』の世界が私たちの前にはない事実は変わらない。「地球によく似た小さな星の、小さな国でのお話」(序)の世界が、これ以上私たちに届けられることはない。

 このとき、私の心に一つの空白が生まれる。この空白は作品世界への喪失感としてある。その喪失の意識が私に『たからもの』の空白を探らせる。単に記憶をたぐり寄せるのではない。それが一つの世界であった生の感触を取り戻すように、私は『たからもの』という空白に思いをこらしていく。

 この空白に思いをこらす心が、物語という「小さな星」を再び現実に引き寄せることになる。そしてもし、全ての人の心が物語の「小さな星」を引き寄せるとするならば、この「地球」は星々の降り注ぐ中心に存在することになるだろう。もちろん、物語だけに思いをこらす訳ではない。私たちの心が引き寄せた様々な要素たちが、世界にエネルギーを充填し輝きを与えていく。

『たからもの』の真新しさとは、こうした人間の心の可能性を強度をもって示したことだと要約はできないか。「小石」となった隊長を、姫は「星」のかけらのように大切にすることができた。ここには、人間の心が失われた世界を引き寄せることができる事実が、確信をもって語られている。奇跡を訴える大げさな身振りはどこにもない。そのことがこれが奇跡ではなく、人間の生み出した事実であることを雄弁に物語る。私たちもまた、奇跡のような生の側面を持つということ。その人間の可能性が強い確信をもって語られているのである。

 この確信こそがこの作品を真のファンタジーと呼ぶべき理由となる。ファンタジーとは世界の意味をめぐる物語である。『たからもの』は、私たち人間の可能性を事実として扱うことで、私たちに世界の意味をささやきかける。心は――そして物語は――私たちの生を輝かせるだけではなく、世界さえも輝かせるということを。そうして、その自負をもって私たちに心の冒険をなすことを促している。この行為によって、私たちは世界という真新しいファンタジーに立つことになるだろう。少なくともこの生の実感のためにこそ、『たからもの』の輝きはある。
posted by 東京青松 at 00:00| 作品解説・植林二本目篇