2006年11月25日

星屋心一の作品解説・植林三本目篇
 二章 第一部 強固な信頼とは何か(4)信頼によって生まれるもの

 心の同期が生みだすもの。それは一つの幸福であることは間違いない。私たちの自我のエゴイズムにとって、他人の心を生きるという感覚自体が奇跡的なのだから。ここでは、真山清美が得たものが何かを追ってみよう。


――清美:ねえ優ちゃん、私のこと好き?
  優二:え?
  清美:好き?
  優二:ん。
  清美:え? ちゃんと言って。(十四場)


 田中博司の手紙を読み終えた真山清美は恋人木下優二と幸福な時間を過ごしている。真山清美が得たものは、簡単に言えば「自信」である。優二の一言半句に過剰な配慮をしては傷ついていた真山清美が、優二に気持ちを(三度も)問うている。自分に自信をもって相手と向き合うことが、幸福な人間関係を生むという自己啓発をも感じさせる。

 真山清美はここで「私だってモテるんだよ。知ってた?」とも言っている。こう聞くと田中博司の手紙は、自分がモテるという自信を与えてくれるものでしかないように見える。しかし、それだけのことなら自信はすぐに砕けるだろう。例えば、優二が考えなしに「嫌い」という返事をするなどがそれである。その程度の自信は即座に自己不信へと転落する。

 ここで描かれている幸福な時間には、そのような転落の危険を感じない。それが「ハッピーエンドのお約束」だからではなく、ここには別様の自信があると解すべきだろう。それは引用場面にはっきりと示されている。真山清美は恋人が自分のことを「好き」だと知っている。そしてそのことを「ちゃんと言って」ほしいと思っているのだ。今までの真山清美を考えるならば、ここにこそ最も驚くべき自信がある。

 この自信は単純に木下優二の心を理解しているということから発している。言い換えれば、自分の心の中に、他人の心をも容れているということになる。つまり、自分の何かに自信を持つのでなく、相手の心のリアルな感触が、真山清美に自信を与えている。そしてこの自信が木下優二の心を打つ。自分の心のリアルを捉えた言葉が、重んじるべき他人の心として心を打つのだ。

 まとめよう。この心の同期が生みだすものは、他人と生きる現実的な幸福である。他人の心を生きるという感覚の奇跡から、他人と生きる現実の幸福が与えられている。真山清美が得たのは、心と日常の幸福である。田中博司の手紙によって他人の心を生きた真山清美は、木下優二の心を生きることを自然と開始し、木下優二と生きる日常の幸福を得ているのである。

 真山清美は心の同期に無自覚である。そのことは、この精妙な現象を自覚するという非凡さに、私たちが立つ必要のないことを語っているように思う。『あなたへ』は私たちにこのように心の同期を生きることを促している。それがもはや感覚の問題ではなく、日常の幸福となることを見逃しようのない真摯さで示しているのだ。【次を読む】
posted by 東京青松 at 00:00| 作品解説・植林三本目篇