2006年12月02日

星屋心一の作品解説・植林三本目篇
 二章 第二部 強固な信頼を生むものとは何か(5)世界観というリアル・3

『あなたへ』という作品の主題の一つを「職業」だと言うことができる。その傍証として、本作では登場人物全て「職業」が明示されていることが挙げられる。

「見りゃ分かるよ。ある意味、サラリーマンの鑑だ」という田中博司(一場)。「僕たち、こう見えても国家公務員なんですよ」という寺崎守と水元翼(二場)。「いわゆるOL」という真山清美と、「定職につかない」という木下優二(七場)。全ての登場人物が、どのような職業に従事しているかが語られている。これは東京青松の作品として異色である。

『あなたへ』という作品は、仕事や所属を持つ(あるいは持たない)私たちのリアルを描こうとしている。私たちにとって仕事や所属とは何だろうか。それは、自分の活動時間や労力を投入しているものである。つまり、仕事や所属を持つことは、そこに自己を投入していることなのである。

 それは自分の仕事や所属の中での労働にやりがいを持つことと関わらない。きわめつけの閑職に従事しているとしても、それを閑職と感じる自分を労働の中で生きさせているのである。このとき「職業」の中で、自己のありようを表現しているのだ。意志的な労働はなおさらだろう。

 仕事や所属に自己を投入すること。それは自分に見あう成果をそこから得ているかどうかが試されることである。仕事や所属の中で成果が問われるばかりでない。余暇を含めた自分のあり方を問われている。

 つまり、「職業」において人は、社会関係の中の自分の位置づけについて取り組むことになる。「職業」が世界観となるのはこの時にほかならない。「職業」が世界観を生むこと。このことは、仕事や所属を持たない時間にこそもっとも具体的に信じられるはずだ。

『あなたへ』という作品は、登場人物全員の仕事や所属が生む世界観を描いているわけでない。しかし、それを持つことを物語は拒否しない。このことの価値は、もっと強調されてよいと思う。

 その理由を断定的に書く。仕事や所属を主題にした多くの物語は、「選ばれた幸運」に支えられてしまう。また、それらを主題にしない多くの物語は、「職業」への自己の投入が不必要であるかに扱ってしまうのである。

 それらの物語は、自己を奮起させたりヒーリングを与えるが、世界観というリアルには至らない。つまり現在において、「職業」が世界観となる物語のリアルは不足しているのである。

 だからこそ『あなたへ』は、「職業」を世界観の環の広がりの中に含むことを使命とするようだ。本作は、寺崎守と水元翼の対話によって閉じられている。二人の対話の中に、彼らの「職業」のリアルがある。そのことを私は次回に論じよう。【次を読む】
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