2006年12月03日

星屋心一の作品解説・植林三本目篇
 二章 第二部 強固な信頼を生むものとは何か(5)世界観というリアル・4

――水元:寺崎さん、僕、才能あります?
  寺崎:なんだよそれ。
  水元:いや、どうなのかなと思って。
  寺崎:ふっ。あるよ。お前なりにさ。
  水元:ええ? それじゃ意味ないじゃないですか。(十五場)


 水元翼の言葉は、「職業」に対する誠実な、そして、極めて平凡な問いかけと思える。才能があれば、努力を投じる意味がある。才能があれば、社会や組織に認められる。才能があれば、誰かのために力が発揮できる。「才能」という言葉で求められているのは、自分が他者と関わる確かな意味である。

 他者と関わる意味は、自己完結できない。だから、水元が「お前なり」では「意味ない」と感じることは至極当然である。しかし、他者と関わることの意味は、結局「才能」でも完結させることはできないだろう。おそらく、この言葉はマジック・ワードなのだ。自意識の中でかりそめの完結をもたらすために、私たちは日々自分の「才能」を信じようとする。

 水元翼の発言は、「才能」をこのように求めている点で、平凡かつ日常的な発想であると言える。あちこちの職場で行われるものと何ら変わりはない。そして、この日常的な発想と、「国家公務員」という表象とを重ねたとき、私たちは一つの解釈を得る。それは「国家公務員の仕事は私たちの仕事と何も変わりはないのだ」という解釈である。

「国家公務員」には、このような日常的なリアルが与えられている。しかし、このリアルはまだ不十分だ。水元と寺崎のなした行為の成立条件となる「国家公務」のユニークさは、それを日常的なものと解釈することでは消化できない。

 だから、具体的な他者を想起すればよい。私はここまで他者を一般論として論じてきた。そのやり方だけでは駄目なのだ。田中博司と真山清美を思い出そう。彼らがなした心の同期を思い出そう。水元翼の発言は、そこから明確な影響を受けているものと捉えられる。

 水元翼の言葉ではなく、彼の心を辿ってみよう。そこから自然に浮かび上がるのは、水元翼が寺崎守の「才能」に畏敬している事実である。【次を読む】
posted by 東京青松 at 00:00| 作品解説・植林三本目篇