2006年12月08日

星屋心一の作品解説・植林三本目篇
 跋 「『あなたへ』の作品論を書き終えるに際して」

 いま私が感じるのは安堵である。やっと文章を書き終えられる。私は「序」で「作品の大きさや捉え難さ」を書くと宣言した。そこから逃げることなく文章を書き進めることができ、心の底から安堵を覚えている。

 拙文を読み返して確認したことが一つある。ここには冴えた文言や独創的な見解はない。この文章の中に読むに値する部分があれば、それは『あなたへ』という作品に固有のものである。そのことは保障できると思う。

 しかしながら、拙文が作品の再現たりえたかには全く自信がない。例えば、本作の時間の進行の仕方について私は触れることができなかった。およそ一週間足らずの作品内の時間が、たんたんと進んでいく。次々と進んでいく出来事に対して、人間のできる一つ一つの行動はささやかなものである。この人間の実質が、時間の進行の仕方の中に含まれていたことを、私は全く触れることができなかった。

 このように、意識しながら触れられなかった事象はいくつかある。一方で、意図しなかったが触れられた事象もある。私がそう思うのは、東京青松の演劇以外のビジネスについてである。私たちの生の定義に対して、別の現実を提示すること。レクチャーやレッスンと様々なビジネスを開拓しようとする背景には、この芯への確信があるのだろう。企業秘密を覗いたような悪戯心をもって、そのことも書き留めておきたい。

「追求したのは芸術でも興業でもなく、ひたすら『人』」と篠田青は書く(ブログ『とうきょうあおまつぶ』「東京青松とは」より。2010年3月26日現在確認できる記事である。文章は2009年8月12日に起案されている)。そのことは、『あなたへ』という作品の時点で明確に示されている。そして、『あなたへ』の発表と前後して、「芸術」や「興業」を離れたビジネスの展開が開始されていたことを記しておく。『あなたへ』を東京青松のターニング・ポイントと呼ぶことはできると思う。

 しかし、いま私がこよないものに感じるのは、その追求の中から、新たな「芸術」や「興業」が生まれたことである。植林四本目『べつの桃』がそれだ。この作品は現時点での東京青松の最高作と評することができると思う。「植林」という語は文化的営為を意味する。「ひたすら人」でありながら、同時に「芸術」や「興業」ともなる営みの広がりようについて、私は論じることはなかった。

 論じることはなかったが、私はそれに励まされて拙文を書いたという実感がある。そして、その実感から東京青松の演劇活動を強く期待する。私の文章を書く最も大きなモチベーションは次なる演劇活動への期待であった。そのことを跋文に記して文章を終えさせていただきたい。【目次へ】
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