2007年07月18日

星屋心一の作品解説・植林四本目篇
 二章 心の起点の時間とともに(2)「真実の時間」vs「心の起点の時間」

――父:……一光。わしはお前を育てた。
  一光:ええ、もちろんです。感謝しております。(一場)


 フィクションは彼らの時間を変化させる。その変化を告げるのは「過去」である。「お前を育てた」というかつての事実が語られることで、この時フィクションに過去が導入されている。フィクションは現在と過去を構成することで、特別な意味を産出するだろう。

 過去はフィクションの中に厚みをもたらす。しかしそれはただの厚みではない。過去は登場人物たちの起源となる。いま父の口から語られるのは一光の起源であるが、その起源が語られることによって一光の時間は変化する。過去と現在のつながりが与えられ、彼は「真実の時間」を生きることになる。

 こうして、過去という起源は「真実の時間」を生み出す。だが、「真実の時間」が始まれば、今までの時間を捨ててよいわけではない。ある種のフィクションはスピーディーな展開を求めて「嘘」を次々と捨てていく。しかし『べつの桃』はべつの運動を作品にもたらしているのだ。

 一光の言葉に注目しよう。「感謝しております」。この言葉の中にあるべつの時間を感じ取ろう。

 この言葉は「育てた」という過去の時点だけを指しているわけではない。過去から現在まで存続する思いを伝えている。つまり、この言葉は過去から現在まで存続する感謝の時間から生まれている。おそらく一光にとって自分の人生を振り返るとき、最も意味を持つのは父への感謝である。だからこうも言える。それは一光の「心の起点の時間」となりうる。

「心の起点の時間」とは何か。それは自発的な思考や行動の際に心が想起する時間である。思考し行動するとき、それが受けいれられる未来を自然と期待する。このとき、未来は私たちの心の中で一つの実感を持っていると言える。この時間への実感が「心の起点の時間」である。実感の傾きによって、「心の起点の時間」は私たちのアイデンティティの原型となるだろう。

 まとめよう。「真実の時間」を語りはじめる父に対して、一光は「心の起点の時間」を無邪気に答える。そのことで、異質な時間が一つの場面に圧縮されている。良質なフィクションはこのような時間の密度を持つ。そして、それらの時間の意味を捨てずに受けとめるものである。【次を読む】
posted by 東京青松 at 00:00| 作品解説・植林四本目篇