2007年07月26日

星屋心一の作品解説・植林四本目篇
 三章 世界を更新すること(3)孤独を分かち合うことによって

――キジ:あたしだってさ、楽しくふざけ合いたいだけってんじゃないんだ。仲間が欲しいんだよ。一緒にいたい。その上で怖い目に遭うんなら、少しは覚悟だってできるさ。
  一光:そうか。……よし、気がつけばはぐれ者ばかりの旅だ。一緒に行こう。
  キジ:ほんとかい?
  イヌ:よろしくお願いしますよ。
  キジ:ありがと!
  一光:サル。
  サル:……。
  イヌ:お前、泣いているのか?

        泣いている。

  サル:うるせえんだよ、お前は! 畜生、俺は女は苦手だし、扱いも下手だがよ。あんたに寂しい思いはさせねえよ。(六場)


 彼らはみな「はぐれ者」である。「桃のようなもの」の中にいた桃太郎は言うまでもない。イヌ、サル、キジもまた、動物界で長生し変異した生物である。彼らは大イヌ、大サル、大キジと呼ぶべき存在でもある。頂点に立つことはできても、もはや仲間の群れと交わることはできない。

 その「はぐれ者」たちが「一緒に」旅することになる。彼らは「はぐれ者」の孤独を分かち合うことになるだろう。ところで、孤独を分かち合うこととは何だろうか。いま、私はポップソングの歌詞のような問いを立てている。しかし、この問いこそ私たちがナイーブに求めるものを伝えるだろう。

 孤独を分かち合うことは、単に孤独が消えることではない。自分より大きな存在に受け入れられ解消することでもない。まして、傷をなめ合うような小さな連帯を持つことでもない。私たちは時に孤独を分かち合うことをナイーブに求める。だが、この行為の中に含まれる力を実感することは難しい。

 引用から考えてみよう。サルはキジの「寂しい思い」に共感する。同時にそれを埋めたいと思う。つまり、キジの「寂しい思い」が埋められるなら、サルは自身が「寂しい」存在と感じた世界は間違いだったことになる。つまり、サルは「寂しい思い」を感じた現実とべつの現実に踏み出しているのである。

 そう。孤独を分かち合うことは世界の更新である。微動する生命への共感を機軸として、他への行為はそのまま自分自身へ向けるべき行為に転じる。ここに世界の意味の更新がある。絶対的な孤独の世界はもうない。固有の現実の交換によって、孤独が埋められるべき世界へと転回されているのである。

 サルが泣きながら約束する理由は明らかだろう。新たな世界に立つ感動の中で、それが与える使命を口にしているのである。このような感覚を生きる幸福というものはある。『べつの桃』の「はぐれ者」たちは美しい。私たちがナイーブに求める孤独を分かち合う行為の中にある、世界の更新の力を純粋に受けとめているからである。【次を読む】
posted by 東京青松 at 00:00| 作品解説・植林四本目篇