2007年07月28日

星屋心一の作品解説・植林四本目篇
 三章 世界を更新すること(5)プレゼントによって

――一光:みんなは、それでもただ「イヌ」「サル」「キジ」と呼んでくれと言う。その気持ちも少しは分かるつもりだし、尊重したいと思う。しかしな、私にとって、みんなは特別なのだ。一人でさまよう旅にするつもりが、こんなに賑やかに、楽しく来ることができた。だから、だからな。
  キジ:うん。
  一光:その、もし嫌でなければ、みんなに名を授けたいのだ。(七場)


 一光にとって、それはいま初めて思いついたことではない。「これは前から考えていたことなんだが」と一光は前置きする。だからそれは、仲間と過ごす固有の時間から生まれた発想である。その固有の時間に基づく発想こそ、パラレルに存在している時間とべつの現実を確認していくことになるだろう。

 一光のプレゼントは仲間たちに受け入れられる。イヌは「心太」。サルは「照助」。キジは「お風」。この「拙いながらも、懸命に考えた」名前が仲間たちを感激させている。もちろん、プレゼントだけでない。それを与えようとする心が嬉しいのである。その心は、自分が享けた現実を仲間と分かとうとしている。好意が目指すのはいつも固有の現実の交換である。

 さらに、このプレゼントは名前である。だから、プレゼントは「固有の現実を与えられる」レベルにとどまらない。与えられた彼ら一人一人の現在として生きはじめるのである。

 心太、照助、お風の現在を想像しよう。与えられた名の中に一光の心が込められている。その名を生きようとする意欲には、二方向のエネルギーがあると形容できる。一つは、与えられた名を新たに生きようとする利己のエネルギーである。もう一つは、与えてくれるものに何かを返すことを使命とする利他のエネルギーである。このように形容したが、それは一であって二ではない。

 好意という現実の交換の中で、利己/利他の区別は意味をなさなくなる。改めて問おう。この自他へ向かう過剰なエネルギーはどこから湧くのだろうか。「世界から」が主観的に最適な解答である。自分でもない。他人でもない。その両方である広がりから得られるエネルギーの淵源は世界というにふさわしい。これが世界の更新の感覚である。

 世界が与えたパラレルという傷はもはやない。過剰なエネルギーを発するプレゼントによって、世界自体が書き換えられているからである。ところで、もし好意が普遍的な感情ならば何が言えるだろう。おそらく、それは次のことである。固有の現実を交換し世界を更新することも普遍的である。この普遍的なことがらが特殊と扱われるほどに、私たちの孤独は常態であるけれど。【次を読む】
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