2007年07月31日

星屋心一の作品解説・植林四本目篇
 本文への注釈として

 雲は大気現象である。ひろがる空間と時間のリアルによって生起する。私は『べつの桃』を雲のように美しい作品と感じる。ここには、ひろがる世界のリアルを集約させたいのちがあるだろう。だからこそ、いのちの一挙手一投足がまぶしい。『べつの桃』の美しさは、私にとってこのようなものだ。

 その美しさについては、ほとんど書けなかったと思う。私の論述は、雲を大気現象のプロセスとして記述する、無粋かつ不完全なやり方だった。ただ、この散文的な作業で試みたことが一つある。美しさと感じるものが恣意でなく、価値ある実質に基づくという証明である。

 本文は一章が演技論、二章がフィクション論、三章が作品論という構成を持っている。私は東京青松の「芸術ではなく、人間の可能性を追求する」姿勢の意味を理解したいために、技術・虚構・作品の可能性の先を記述しようと試みた。このことによって、ある水準の文章が書けたと自負している。東京青松に感謝を捧げる次第である。

 これ以後に東京青松について書く予定はない。振り返って、私は私自身の怠惰を思う。東京青松の作品に価値を認める以上、私は一人でそれを書くべきだったかもしれない。「とうきょうあおまつぶ」のために書かれたという文章の事実が、馴れ合いと感じさせるゆるみを生じさせた気がする。孤独であるいまこそ、私は東京青松を観た現実と向きあわなければならない。

 最後に、『べつの桃』というタイトルについて触れる。「桃」は一光のアイデンティティではない。そして、彼はついに起源を知ることはなかった。だとすれば、一光のアイデンティティは、起源でなく仲間や家族と立つ場所から生じることになるだろう。だから、『べつの桃』は地球だと解釈できる。彼らは、起源の意味を知らない私たちと同じ場所に立ち、まばゆいいのちをつむいでいたのである。【目次へ】
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