2005年07月14日

篠田 青の『東京青松の道/東京青松から』
 その2 「映画と演劇」

 映画を演劇にするという作業を何度かやったことがあります。その経験が僕の演劇観の礎となり、青松の独自性にもつながっています。

 編集によって完成する映像作品と比べると、演劇には多くの制約があります。最大のものは、「大がかりで複雑な背景を用いて、何度も場面転換をすることは困難である」ということでしょう。実際、映画を演劇化するときに苦労したのもこの点でした。

 映像作品の長所にはもう一つ、圧倒的な情報量があります。舞台背景となる場所(空間)から、細かい小道具に至るまで、画面には実に様々なものが映し出されるのです。そして更に、物語の展開に合わせて顔や手元をアップで撮ったり、空から街全体を撮ったりと、観客の目を適切に誘ってくれます。

 倫理上の問題を除けば、映像表現にはもはや制限がありません。ですから、演劇化に向かない映像作品もたくさんあります。僕が演劇化を試みた作品には、いずれも原作としての小説が存在しました。つまり、映像表現を前提としていない物語であるということ。これが、演劇を自由なものだと考える大きなきっかけになったのです。【次を読む】
posted by 東京青松 at 00:00| 東京青松理論