2005年07月16日

篠田 青の『東京青松の道/東京青松から』
 その4 「物語とその形」

 お話と想像力のバランスについて考えてみましょう。

 最初の物語はおそらく、声によるものだったと思われます。怪談や落語、お母さんが寝る前にしてくれるお話のような感じですね。懐かしい昔話のカセットテープや、ドラマCDというのもこのジャンルといって差し支えないでしょう。声による物語を楽しむには、かなりの想像力が必要になります。しかしそれは、受け手に目を閉じる自由が保障されているということでもあるのです。

 絵や文字が関わってくると、その自由はかなり狭くなります。その代わり、作者はより正確にイメージを伝えることができ、受け手も作者のイメージに近づくことができます。絵本や小説の場合、物語を形づくる文章はきっちり決まっており、例え読み聞かせや朗読という形をとっても、声による独創性の介入は限定される訳です。

 位置づけが難しいのは紙芝居ですが、現在淘汰されてしまった感があります。これは物語が多様化していく中で、過渡期にあったものなのではないでしょうか。主に、絵と声の独創性の二つが物語を支えている紙芝居。世の中に印刷物が広く出回るようになり、「ブランド」・「公式」としての作者が確立されていくにしたがって、出どころ(文章)の不透明さが「うさんくさい」という印象を与えざるを得なかったように思われます。結局、受け手は紙か芝居かを選んだということかもしれません。

 その紙芝居にとって代わったのは、おそらく漫画です。紙芝居では声が担当していた演出を、吹き出しや効果線、擬音語等の多用によって表現。読者は止まっているはずの絵に動きを感じるまでになります。ここまでくると、受け手に与えられる視覚的な情報量はかなりのものです。ジャンルにもよりますが、台詞のみならず説明文も読ませることができ、背景も描ける漫画は、演劇以上の情報量を持っているといっても良いのではないでしょうか。【次を読む】
posted by 東京青松 at 00:00| 東京青松理論