2005年08月04日

星屋心一の『東京青松の道/客席から』
 その10 「『絵美香』論2・主人公たち」

  女友達:「ナンパされちゃった。」
  男:「えーっ!? マジで?」
  女友達:「マジで。」

『延長』冒頭の台詞である。ネタばらしとなってしまうが、この二人がそのまま『絵美香』の主要登場人物となる。引用は日常的で些細な台詞だが、『絵美香』とのリンクを明白に示しており、物語構成上重要な役割を持つ(どういうリンクかの詳細は省く)。

 このリンクのために、『絵美香』の観客は、同時期に起きた『延長』のドラマを想起しながら見ることになる。このときコージは何を考えているのか、どんな状況なのか。そのように注意するだけで、物語はふくらんでいく。

 私が気になるのは、「ユリ」についてである。ユリのナンパのエピソードは『延長』と『絵美香』のどちらの物語でも展開されてはいない。にもかかわらず、この二つの物語の中でかなり目立つ位置に置かれているのだ。これは何故だろうか。

 このエピソードがなかったら、ユリだけは物語の主人公になることができない。ユリは第三者的なものの見方や客観性にすぐれたキャラクタである。その彼女も『延長/絵美香』の外では(暗転の中で登場人物が生きるように)、主人公として生きることになるのである。

 よくできた物語であるほど、ユリのような「脇役的人物」はどうしても生じてしまう。彼女らが生き生きとしていても、それは「脇役的な生」を与えられているにすぎない場合が多い。全ての人物に、主人公として生きる余地を与えるのは難しい。

 先の引用部分は、その余地を登場人物に与えているシーンである。ユリはこうして、自身が主人公として生きることを認められているのである。

 私は先ほど「ユリだけは物語の主人公になることができない」と書いた。ここで植林一本目の観客は、「では、店員は?」と疑問に思うかもしれない。『延長』の「店員」はいかにも脇役に見える。しかし、物語の細部に注意すれば、風俗店の「新人」として熱心に接客に取り組む彼にも、主人公としての人生が書き込まれているのである。

 前回論じた「覗き見」するように第三者を見つめる『延長/絵美香』のシナリオは、同時に、全ての人間が主人公として生きることを許している。つまり、登場人物を等身大の人間として扱うことに徹底しているのである。

 ところで、このことは『延長/絵美香』の構成上の技術に敏感な者ほど見落としやすいと思う。『延長/絵美香』は演劇として非常に珍しい構成を持つ。しかし、それを理解することばかりを目的としてはならない。重要なのは、この構成上の技術が、等身大の人間の表現のためにあるという点なのだ。【次を読む】
posted by 東京青松 at 00:00| 作品解説・植林一本目篇