2005年08月05日

星屋心一の『東京青松の道/客席から』
 その11 「『絵美香』論3・エミカのリアリティ」

    ふて寝したショウに合わせるように、照明も暗くなっていく。短めの暗転。
    再び照明。先程よりも柔らかい明かり。
    寝ているショウの傍らに、女のコが立っている。


 この「女のコ」が「エミカ」である。ト書きには照明の細かな指定がある。場面転換以外の照明効果は作中では珍しい。しかし、観客の私たちが気にするのは、照明効果ではないだろう。

 私たちを驚かすのは、エミカが登場する奇跡が、この照明効果でしか説明されないことである。ここには七色の照明も効果音もない。照明が瞬間変わり、「女のコ」がそこにいるばかりだ。

『絵美香』を見続ける者はさらに驚くことになる。これ以上の説明は、本編を見渡してもどこにもないのである。ここに不条理な印象を持つ観客もいるだろう。その居心地の悪さは、次の二つの効果によって解消されるはずだ。

 一つは不条理劇の効果と同じ、眼前の出来事に注視するというものである。存在の理由が明かされないとき、観客は舞台の上の「女のコ」にそれを見つけようとするだろう。そうして「女のコ」に注視することで、奇跡が体と意識を有したものであることを気づく。このファンタジーの感触は独特である。

 もう一つは心を想像することである。観客と異なり、奇跡を体験する当人たち、エミカとショウはそのことに疑問がないようだ。そのズレに気付けば、彼らがその奇跡をどう受け止めたかが見えてくる。それが彼らの望みであったこと、その望みが疑いを挟まぬリアリティでそこに訪れたことを。

 このレベルまで心と体を感じ取らせるための技術が、エミカ登場シーンにはある。そして読者は、このシーンの成立が、役者の存在感と観客の想像力にのみ託されていることに納得されるだろう。【次を読む】
posted by 東京青松 at 00:00| 作品解説・植林一本目篇