2005年08月06日

星屋心一の『東京青松の道/客席から』
 その12 「『絵美香』論4・愛の名前」

 いきなりだが、「彼女が欲しい」「彼氏が欲しい」という言葉に私は反発を覚える。私たちが恋愛において求めるのは「彼女」や「彼氏」などという抽象的な存在ではない。ただ一人の愛する者を求めるのが恋愛であるだろう。

――エミカ:「好き。ショウちゃん。」
  ショウ:「エミカ! エミカあ!」
  エミカ:「やっと名前で呼んでくれた。ショウちゃん、呼んでくれたねえ。」
  ショウ:「好きなコの名前、呼べないんだ。」
  エミカ:「どうして?」
  ショウ:「恥ずかしい、から。」

 ショウがエミカの名を呼ぶとき、彼の前には、ただ一人の愛する者がいる。そして、「好きなコの名前、呼べないんだ」という台詞は、その恋心ゆえに隠そうとしてしまう、屈折した心理が表現されている。その屈折を生じさせる相手が目の前にいる。

 ではエミカとは誰か。このシーンの直前に、エミカが自身を「にせものだから」と言う台詞がある。だから別れなければならないとショウに伝えようとする。この「にせもの」を言葉どおりに受け取ってはならない。そう受け取る人は、「エミカ」がショウの夢や幻想であると誤解してしまうだろう。

 エミカとはエミカなのである。ショウの愛する者がそういう名前を持っているということにすぎない。この単純な事実を受け容れるときに、私たちは『絵美香』の奇跡に出会うことになる。

 エミカは食べることができない。エミカは「本物」の現実に生きてはいない。それでも、エミカはショウの前にあらわれた。夢から抜け出し、ショウの愛に応えたのである。『絵美香』は愛が起こした奇跡を描いたファンタジーである。

 冒頭の引用の後には、「(名前を)呼んでくれたら、元気出るのになあ。」というエミカの台詞がある。ショウはエミカの名前を呼び続ける。エミカを救うために。流露しつづける思いがとどめられないように。このショウの愛が全てのはじまりである。エミカ――やがて消える運命を持つ者――は、ショウのために不可能であるはずの邂逅を果たしたのである。

 ちなみに、多くの作品ではこうした奇跡が幻想と取られるのを避けるため、第三者の目撃証言を用いることが多い。友人の誰かが「エミカ」を見かければ、それは幻想ではなく奇跡ということになる。だが考えてほしい。愛が起こした奇跡であれば、愛する者以外に何故出会う必要があるだろう。『絵美香』は、純粋に愛の奇跡のみでかたどられているのである。【次を読む】
posted by 東京青松 at 00:00| 作品解説・植林一本目篇