2005年08月12日

星屋心一の『東京青松の道/客席から』
 その18 「余談4・『誤読』事件」

 楽屋話から始める。実は前回の「TVを見るエミカ」は、今回に書くつもりだった。「TVを見るエミカ」の回には、やはり『絵美香』論の補足として「ソフトクリーム」と題した文章を載せるつもりでいた。全力をあげて文章を完成させたが、原稿は流れた(流した)。その理由がタイトルにある「『誤読』事件」である。

 私はそこで「エミカは物を食べられない」という前提で文章を書いた。その内容に対する返答で篠田青は「アイスクリームを含めて、二人は大抵の食事やおやつを楽しんだんじゃないかと思う」と言った。続いて、私の読解の理由をただちに察したらしく、「そういう考え方をするものか、と驚嘆させられたよ」と皮肉かどうかが判別しにくいメッセージをよこした。

 私は動揺した。この解釈の違いが何故生じたのかを検証した。連載原稿を自ら没にし、その検証のために篠田青に7000字程度の文章を送りつけてしまったほどである。公演直前のこの時期にそれは純粋な迷惑以外の何ものでもなかったはずだが、彼は丁寧かつ、思考を凝縮した返事を送ってくれた。私の攻撃的な文章とは大違いである。

 ここでは「誤読」に関する結論を書こう。私は『絵美香』の中で語られた「ソフトクリーム」と「アイスクリーム」を同じものと考えた。この小さな差異を同じと考えるか違うと考えるかで、正反対の読解が成立するのである。このことは連載の「その3」で述べた「青松の暗転には過剰な物語が詰め込まれている」という方法論に起因する。「舞台」で語られたことの何を踏まえるかで、暗転の物語が驚くほど変化するのである。

 篠田青はその変化について、「個人の読解の差で、それぞれの充実をもった楽しみ方があれば、それは豊かなことだと思う」と私に書いた。しかし、どんな作品でも無数の読み方がある以上、「充実をもった楽しみ方」がどういうものかが言葉の上で不明であると私は指摘したい。【次を読む】
posted by 東京青松 at 00:00| 作品解説・植林一本目篇