2005年08月14日

星屋心一の『東京青松の道/客席から』
 その20 「余談6・一人の弱さ」

『延長/絵美香』の男は弱い。こう文章を書き出すことを、二回目に植林一本目を観るときに決めていた。この事実をはっきりと述べなければ、作品の大切な実質を無視することになると思った。その弱さとは、恋する者のありのままを受け取れなかったことである。

『延長』のコージは、ハルカを結局「普通」の女の子として扱うことができなかった。『絵美香』のショウは、「にせもの」を自称するエミカに対して、「あなたは確かに存在している」という強い肯定を伝えずじまいだった。『延長/絵美香』の主人公たちは、こうした弱さを観客にあらわにする。

 しかしこの弱さは、転じて彼らの望みの大きさをも示している。例えば私たちは、自分が風俗嬢に恋をする事実を本当に受け入れることができるだろうか。私たちは、「夢」の中から現れた女のコを、幻としてしてではなく、現実の人間として愛することができるだろうか。彼らはそのことを真実望んだ。だからこそ現実の様々な試練が、彼らを苦しめ続けた。

 弱さを切り捨てることはたやすい。こうした「望み」とともに切り捨てればいいのだから。しかし彼らは、その「望み」を放棄しない。ここには「人は誰でも弱い」などという安堵はない。彼らは自身の「望み」と「弱さ」にいつまでも苦しめられている。二つの作品ともに、こうした思いが彼らの中で未整理なままラスト・シーンに凝縮する。この瞬間こそ、人の「心」そのものが舞台にあるかのようだった。

 ハルカもエミカも消えてしまった。現実という舞台に残るのは、「望み」と「弱さ」に揺れる一人の心である。その確かな重みを残して、『延長』と『絵美香』は幕を閉じた。「弱さ」というこの底部を扱わなければ、ここまで私が述べてきた『延長/絵美香』の貴重さも実質を欠いたものとなったはずだ。そのことに触れられたわずかな満足を得て、私は筆を置くことにしよう。
posted by 東京青松 at 00:00| 作品解説・植林一本目篇