2006年03月03日

星屋心一の作品解説・植林二本目篇
 その5 「謎という要素」

――隊長:「呪いを解いてくれって。何で思いつかなかったんだろう。」
  小鬼:「残念ですがお客様、それはお受けできません。」
  隊長:「何でだよ?」
  小鬼:「呪いを信じていないってことは、そういうものが俺のカタログに載ってないからでな。つまり、ないものは扱えないんだよ。」
  隊長:「欠陥品め。」
  小鬼:「おい!」(十場より)

 本作では、いくつかの謎が明かされないままだ。この回では、謎の解明ではなく、その効果に注目したい。上の場面の隊長と小鬼との会話は、その謎のありかを集約的に伝えてくれる。まず、物語の舞台となる国にあるという「呪い」は、「魔女」がかけたものと伝承されている。しかし、それがどのような実害をもたらすかについては、ほとんど触れられていない。それどころか、小鬼は「魔女とか呪いとか、俺は信じないけど。」(十場・引用句直前)とのたまう始末である。彼の見解では呪いや魔女さえ存在しない。

 次に小鬼の存在自体も謎である。「普通、人間には俺のことが見えない」(五場)という小鬼だが、何故か隊長には姿が見える。そして小鬼は隊長に「願いをなんでも一つだけ叶える」(五場)ことを約束している。しかし上の引用では、「ないものは扱えない」と言うことで、隊長に「欠陥品」呼ばわりされている。ここで「欠陥品」である小鬼がいかなる存在か、と疑問に感じてしまう。「願い」について明確なルールを語る小鬼が、やはりあるルールの元に生きていることを垣間見るのだから。ここでは登場していないが、「魔女」もあるルールの中で生きさせられている印象がある。

 こうして「謎」に触れていくと、この「呪い」や「小鬼」や「魔女」の存在する世界がどのようなものであるのか、そうした疑問さえ生まれる。しかし重要なことは、登場人物である彼らが(王子をのぞいて)世界の謎の解明を目指そうとはしていないということだ。彼らにとって世界はあるがままの存在であり、それをわざわざ問うような発想を持たない。つまり、彼らがそれを日常として生きているという事実が物語られている。何かを日常として受け入れるほど、手の届かぬ(届かせようと思わない)謎は生まれていく。近年の日本アニメの「謎」の提示は、登場人物の日常に描くことで、おのずと「不明」な部分が生じるという効果がある。少なくとも、『たからもの』はそれを原理として制作されている。この作品では、「謎
」の存在と世界の「日常」を物語ることは表裏一体なのだ。

 本作でいくつかの謎が明かされないこと。それは登場人物が最後まで世界を生きた証としてある。私たちにその謎の解明が伝えられないことは、本作を観たものには小事にすぎないだろう。私たちの興味は、謎をはらむ物語ではなく、いつしか謎の中で登場人物が何をなしたか、に向けられていく。それは引用の後に控える隊長と小鬼の選択で明らかである。彼らの行為が真新しい物語として私たちに届けられる。この謎めいた世界の中で「たからもの」は間違いなく存在しているのだ。【次を読む】
posted by 東京青松 at 00:00| 作品解説・植林二本目篇