2006年03月10日

星屋心一の作品解説・植林二本目篇
 その12 「人間という物語」

 前回、死を前に人間が無力である事実を述べた。さらに人間は、死を含む世界に対しても無力である。この事実は人間に純粋な恐怖を与える。しかし、人間はただ無力さに甘んじているばかりでなく、無力さを与える世界に対して復讐を試みる。そのことが「呪い」および「魔女」を生み出したのだと思う。

 私が考えているのは以下のような物語だ。人智を超えた自然である「森」で誰かが死ぬ。例えば、それが幼い子供だったとしよう。その子がめったに人が近寄らない場所に入った理由も、命を落とした理由も不明である。人々は無力と恐怖に襲われる。そこで彼らは「魔女」を必要としたのだ。「魔」という人智を超えた存在も、ただの「女」に仮託することで復讐可能なものとなる。世界への復讐のために、一人の女を生け贄としたのだ。

 彼女はもともと「小さな国」の住民であっただろう。さらに「魔女の森」で長い間一人で生活できた事実から考えても、彼女は「森」に入ることを恐れない人間だったはずだ。この異質さが格好の標的となり、「あいつが森に入るのを見た」、「あいつが子供をさらった」と人々は噂をし始める。そのようにして、彼女を魔女たらしめるための根拠を積み重ね、彼ら自身が信じるに至ったのである。

 そして彼女を国から追放する。この追放から「呪い」が生まれた。エゴイスティックに「女」を追放した罪の意識から逃れるため、「小さな国」の人々は、いつまでも「魔女」と「呪い」に脅えることとなったのである。現実の魔女への迫害の記憶(それは決して遠いものではない)と相まって、それはもはや迷信とは打ち消せない実態をまとい、人々を脅かしている。

 これが「魔女」および「呪い」の真相であると信じる。それが無慈悲な「世界」に対する復讐であるかぎりにおいて、「みんな、かわいそうだ」(十九場)と王子が言うことも間違ってはいない。だが「小さな国」の人々が犯した罪は明白である。無実の「魔女」を迫害したこと。そして「世界」に対する人間の無力さから目を背けたことがその罪である。

 それは過去の罪ではない。彼らは不幸が起きるたび、魔女の仕業としただろう。「小さな国」の人々は、それが自らの業であるかのように、人間の理解の「外」の力から常に背を向け続けているのである。常に「魔女」の「呪い」という恐怖にさらされるということを代償に支払ったとしても、彼らは嘘にしがみつくことを選んだのだ。

 世界に背を向けて語り継いだ、人間という物語。それはいじましくも愚かな物語である。『たからもの』という作品は、その物語の限界を示すことで、逆に背を向けた世界の大きさを感受させる。この世界の大きさを直観しさえすれば、「呪い」の謎は決して奥深いものではなくなる。この世界がいつでも人間の謎であること、その解答を前提に解き明かしたものが、以上の文章である。【次を読む】
posted by 東京青松 at 00:00| 作品解説・植林二本目篇