2006年03月11日

星屋心一の作品解説・植林二本目篇
 その13 「思いという物語」

――隊長:「呪いを解いてくれって。何で思いつかなかったんだろう。」
  小鬼:「残念ですがお客様、それはお受けできません。」
  隊長:「何でだよ?」
  小鬼:「呪いを信じていないってことは、そういうものが俺のカタログに載ってないからでな。つまり、ないものは扱えないんだよ。」
  隊長:「欠陥品め。」
  小鬼:「おい!」
  隊長:「だってそうじゃないか。」
  小鬼:「あのなあ、全部が人間のためにあると思ったら大間違いなんだよ! モノによっちゃあ、互換性がないってこともあるんだ。」
  隊長:「やれやれ。じゃあ、魔女の居場所は?」
  小鬼:「漠然としすぎてるよ。どう説明したもんかな。あんたの思いってのがあるだろ。それがある程度具体的なとき、俺の能力でこう、手助けできるっていうのかな。」(十場)


『たからもの』の世界は、私たちが知る以上に大きい。この小鬼という存在こそ、その何よりの証であろう。「互換性」の件にあるように、彼の存在の「全部が人間のためにある」わけではない。それは小鬼が存在する世界も同様である。しかし、その小鬼は「呪いを解」くという願いを叶えられない。「思い」が「具体的」なとき「手助け」できるというその力が、及ばないのである。

 なぜだろうか。「呪い」も「呪いを解」くという行為も、人間の虚構に基づいているからである。つまりその「思い」は「具体的」ではないのだ。もちろん、責任転嫁という人間たちの負の意識を、小鬼が理解できないことも理由の一つだろう。「魔女とか呪いとか、俺は信じない」(十場)という小鬼だが、「魔女」や「呪い」が何かということを述べることはできない。やはり「呪い」は小鬼の「カタログ」にはないのである。

 隊長の「願い」は人間の社会の「思い」を伝えてくれる。それが虚構に基づいていたとしても、「思い」であることには変わらないのだ。「欠陥品め」という隊長の罵倒は、人間の傲慢さというより、虚構の中で人間が抱く思いが切実であることを伝えてくれる。一方、小鬼の能力は「思い」が世界の中で持つ可能性を教えてくれる。彼が願いを叶えるのは「手伝い」に過ぎず、その力は思い自体が有しているらしいのだ。時に願いは、人間が信じる以上の可能性を持つのである。

「世界」の大きさを想像しよう。その中には「小さな国」の人々の中だけで共有される「思い」がある。同時にその人間の小さな「思い」は、大きな世界の中に変化を生み出すほどの力を持つ。隊長が抱いた「思い」。そして小鬼が教える「思い」。そのどちらの「思い」も確かな人間の心なのである。この事実は、人間にとって残酷なものでありながら、同時に希望を与えている。『たからもの』の思いという物語は、かくも複雑な教訓を伝えるのだ。【次を読む】
posted by 東京青松 at 00:00| 作品解説・植林二本目篇