2006年03月19日

星屋心一の作品解説・植林二本目篇
 その21 「『いま』『ここ』にある世界」

――むかしむかし、どこか遠く。
  地球によく似た星の、小さな国でもお話。
  小さな国のお姫様が、お供の隊長に言いました。
  「ねえ、たいちょう」
  「何ですか、姫」
  「ひめねえ、おおきくなったらたいちょうとけっこんする」(序)


 引用の世界はどこにあるのか? これは真剣に問うべき課題である。隊長の命と記憶は既に失われている。この隊長と姫の過去の会話も同様に失われている。つまり、この世界は「もはやどこにもない」と考えることができる。だからこそ『たからもの』を観る者は、この「序」のスクリーンに投射された言葉たちに対して、既に失われた世界として、哀惜を感じるだろう。

 言葉の物語は、常に「いつか」「どこか」で起きたこととして語られる。しかし、この「むかしむかし」「どこか遠く」で起きたストーリーは、物語の中の誰の記憶からも忘れられている。だからこの言葉たちは、現実の基盤を持たずに宙に浮きあがる。それは現実から遊離する物語の定めのように浮き上がっている。「地球によく似た星」とは「物語」の別名を指すだろうか。

 しかし、この物語と私たちは出会っている。出会うどころか、私たちは隊長と姫とともに生き、同じ現実に立っていたとさえ言えるのである。隊長が生きた現実と、その隊長に対して姫が心を寄せた現実。それは私たちの記憶と心に刻み込まれている。それが失われた時に受けた哀惜という心の傷を確かめよう。その傷が過去や失われた世界のよすがであることに気づくだろう。

 だから引用の世界は「いま」「ここ」にある。心がその世界のよすがとなる。命の一つ一つが世界を持ち、そして一つ一つの心がその世界とつながることができる。心が持つ世界は、そして物語も、けっして孤独に存在するのではない。それらは心をよすがとして私たちの前にある。そうして、「どこか遠く」にある世界を「いま」「ここ」へと引き寄せることができるのだ。遠い世界を「いま」「ここ」に感じること。それが姫の起こす奇跡に確かな実質を与えるだろう。【次を読む】
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