2006年11月21日

星屋心一の作品解説・植林三本目篇
 二章 第一部 強固な信頼とは何か(1)象られた力

 真山清美に送った手紙が読まれる場面で、田中博司はナレーターとなる。脚本では、以下の指示が読める。

    ――清美が封を開けるとともに、照明も変化。
      田中が手紙を音読する。(十三場)

 この劇構成には、はっと胸をつかれる。使い古された劇的手法でありながら、それが真正の感動として私たちに感受されるからである。何故そのようなことが起きるのか。まず、手法と物語の強固なつながりとしてそれを論じてみよう。

 一般論として、映画や演劇で、手紙を「上演」することにノイズを伴う。演劇では文字が小さすぎて観客が読めない。映画では観客が読むためのショットが冗長となる。そこで音読という手法がある。そして送り手が手紙を音読する場合、それは物語上の時空とは別の時空を挿入することになる。手紙の書かれた時空が、手紙の読まれた時空へと招かれる。

『あなたへ』は、手紙の音読によって生じる時空に対して、明確な目的を与えている。私は「時空を挿入する」という言いまわしを用いた。他の多くの物語には当てはまるが、『あなたへ』という作品には、不適当な言い回しであったと思う。それは「共存」というべきであろう。

 田中博司によって手紙が書かれた時空も、真山清美がその手紙を読む時空も、ひとしなみに貴重である。どちらの時空にも、一つの心が揺れている。その心の時空を等価値として共存させること。それがこの場面に託された意味だと私は思う。『あなたへ』は、この場面で、時間の進行の中でかき消えてしまう心と時空のつながりが余さずに捉えられているのである。そもそも文字とは、そのように伝達されるものなのだ。

 手紙の音読は、このとき使い古された劇的手法であることをもうやめている。人間のなす事実として、文字の力を正確にトレースしている。手法と物語が表現するものが、ここでは充実した一致を迎えているのである。そしてこの物語の破格さは、その次に用意されている。書かれた時空と、読む時空が共存するいまとは既に過剰である。この現実の過剰さが、次なる物語を生みだすことになる。【次を読む】
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