2006年11月24日

星屋心一の作品解説・植林三本目篇
 二章 第一部 強固な信頼とは何か(3)同期する心について・2

 手紙の配達人は手紙の内容を知らない。「田中さんの手紙をさ、覗くようなまねはしないから」と言う寺崎守と、それに「もちろん僕も」と応ずる水元翼は、田中博司が何を書いたかを知らない(十一場)。にもかかわらず、彼らは田中博司の手紙が読まれるのを見届けようとする。何のために? もちろん田中博司のためにである。ここに素朴な親切というものがある。

 彼らは、田中博司の思いが真山清美に届くことを望む。しかし、この望みはいくつもの迷いを抱えている。本当に田中博司が望むように、真山清美に思いを届けることができるのか? 仮に届いたとしてもそれが田中博司の思いを遂げさせることになるのか? また、その思いが遂げたのを彼らはどのようにして知ることができるのか? これらの全ては正解が想定しきれない。未来には迷いがある、だから彼らは緊張する。

 田中博司がナレーターとして手紙を読む時間の中を、寺崎守と水元翼はこのように過ごしている。真山清美と田中博司の心の同期を、その外側から、緊張しながら見守っている。彼らは、手紙の内容を知らない。それと同じく、心の同期の運動も知らない。にもかかわらず、彼らは「この近く」に立つことになる。

 真山清美は手紙を読みおえる。田中博司の意志を信じるならば、寺崎と水元の意志も信じられる。真山清美は、彼らの振る舞いを受け入れるべきものとして映じるだろう。そのように映じた中に、感じるものがある。それは田中博司の存在である。たとえば、それはこんな近い過去に感じられるものだ。


――水元:(略)できればその、読んでいるところに立ち会わせていただきたいんですが。
  清美:……いいですよ。
  水元:本当ですか?
  清美:ええ。八つ当たりしちゃった分。
  水元:ありがとうございます!

        水元、向こう側にいる二人にガッツポーズ。(十二場)


 そしてそれは、清美が手紙を読み終えた直後にはっきりと感じられる。


――清美:読みました。
  水元・寺崎・田中:ありがとうございました。(十三場)


 そう。三人は感情を共有している。だから真山清美には、ここに二人しかいないことに違和感を持つ。寺崎と水元が心を共有している三人目が、彼女に見えないことが不思議なのだ。寺崎と水元の振る舞いの自然さが、三人目の存在を確かに示しているというのに。

 だから彼女は寺崎と水元に問う。「これを書いてくれた方、近くにいらっしゃいますか?」と。このフレーズは、二つの事実を示すだろう。一つは、清美が田中博司を直接「ここ」にいると感じていない事実。もう一つは、「近くに」いるか否かの答えを、清美は寺崎と水元が知るだろうと考えた事実である。彼女に田中博司は見えない。しかし、寺崎と水元が見る田中博司を共有しているのである。

 真山清美が幽霊である田中博司を感じること。これは『あなたへ』の作品の中で「奇跡」と感じられる。しかし、これは心の同期がもたらす副産物に過ぎない。心の事実として「近く」に感じる誰か。その誰かの「近く」にあって、感情を共有するものたちがいる。この誰か=田中博司へ寄り添う心を通して、彼らを見れば、そこに三人目がいるように振る舞う事実が見逃しようなく現われてくる。

 真山清美は、この心の事実を、自分の見える事実によって切り捨てはしない。このことが、真山清美が心の同期を生きている事実を物語る。そして、この同期もまた過剰であるのだ。一つの心の同期が、他の心との同期をも生むこと。裸の心が過剰な世界へと接続されている。これを奇跡と思うべきではない。単に奇跡を信じるのでは、同期する心のリアルが見失われてしまうのだから。この心の同期が私たちの現実の可能性であることを、寡黙に、だが雄弁に『あなたへ』は物語っている。【次を読む】
posted by 東京青松 at 00:00| 作品解説・植林三本目篇