2006年11月28日

星屋心一の作品解説・植林三本目篇
 二章 第二部 強固な信頼を生むものとは何か(3)生の実感の中のリアル

――田中:その人がね、いつもと違ったんです。下を向いて、そんな様子を見たのは初めてだったもので、それが凄く気になって、なんていうか、声をかけたいような、そんな気持ちになってしまって。
  寺崎:どう?
  水元:ええ、たぶん。
  田中:えっ?
  寺崎:それだよ、田中さん。
  水元:そのとき、あなたは事故に遭ったんです。
  田中:事故?
  寺崎:田中さんにとっては、事故の衝撃よりも、その人のことが重要だったんだ。(四場)


「車道をはさんで、向こう側を歩いている」他人の「いつもと違った」という出来事が、田中博司の最後の心象となる。それだけでない。田中博司が「事故の衝撃」を忘れているのは、「凄く気になって、声をかけたいような、そんな気持ち」になった瞬間である。

 私たちは、この時点をつかまなければならない。田中博司の心を占めるのは、現実世界に自己の思いを届かせたいという意思である。

 心象と意思。どちらも人間が世界を捉えつながりを持とうとするとき生まれるものだ。人間の生は心象と意思によって占められていると言えるだろう。田中博司はその最後の瞬間に、生のあるべき形に自らを開いていたのである。

 この姿が死という軽さによってかき消される。心象や意思など目に見えないものは現実世界にその痕跡を留めるべくもない。そして、このことを「意外」と感じることも、人間の実感であると思う。

 幽霊はこの実感の中のリアルである。生のあるべき形がただ意味もなくかき消されることが信じられない。幽霊とは信仰や願望であるよりも、第一にこの実感の中にある存在である。

 この実感の中では、目に見えない心というものが極めて鮮明に捉えられている。それもまた上の引用で確認できる。田中博司にとって「事故の衝撃」より、他人の心の変化が「衝撃」を与えるほど鮮明なのだ。この田中博司は生の実感を純粋に生きていた。

 私たちがこのように感じる瞬間に、幽霊である田中博司は、私たちの実感とつながる存在となる。それが信仰や願望であるよりも、あるいは物語の設定としてよりも、田中博司が生けるリアルとして実感されるのである。そのような作劇が『あなたへ』には存在している。【次を読む】
posted by 東京青松 at 00:00| 作品解説・植林三本目篇