2007年07月20日

星屋心一の作品解説・植林四本目篇
 二章 心の起点の時間とともに(4)時間たちのせめぎ合い

――一光:すみません、あまりにも唐突で……。私は今、自分が何者なのかすら、理解できずにいるのです。
  父:そうか。そうだな。すまない。

         暗転。
         (ト書略)
  父:やはり、行くか。
  一光:はい。(二場から三場)


 暗転の中で時間はどう変化するか。それがほんの一瞬か、数日であるか私たちには分からない。ただ一つ明らかなのは、これまでの時間が貫通していることである。いや、それは正確には貫通ではない。私はすでに複数の時間について論じている。暗転の中では、圧縮された複数の時間たちがせめぎ合う。この時間たちのせめぎ合いこそが、暗転と演劇形式に一つのうねりを与える。

 引用を見よう。「真実の時間」が一光を混乱の極みに陥れている。「真実の時間」が強力に存在を主張している。しかし、それだけではない。一光の「心の起点の時間」がここにはある。そして、にせものの時間を生きることを選んだ父の「孤独の時間」もある。暗転の中で複数の時間たちがせめぎ合うのである。

 時間たちのせめぎ合いは、アイデンティティの危機を生む。「真実の時間」は新しい一光の可能性を伝える。だが「心の起点の時間」も別の一光がいる事実を教えている。さらに「孤独の時間」を過ごす父が愛した一光の過去の姿も感じることもできるだろう。アイデンティティは、異質な時間の中の「自分たち」から「自分」を生みだすことによって確立されなければならない。

 一光のアイデンティティはどう確立されるのか。「やはり、行くか」と「はい」の応答の呼吸の中で、彼らが一つの解決を選んだことが分かる。一光一人がそれを確立するのではない。対話が可能な他者と生きるために確立されるのである。アイデンティティの格闘の一切を略して、得難い正しさが選びとられたことが伝えられている。

 フィクションの時間たちのせめぎ合いが、登場人物のアイデンティフィケーションのうねりを生んでいる。アイデンティティは目に見えない。だから、暗転の不可視で感知するのがふさわしい。ここに人間の営為をトレースする形式の充実があるだろう。それと同時に、時間たちのせめぎ合いがいのちに圧縮されるという、人間の驚異がここにある。【次を読む】
posted by 東京青松 at 00:00| 作品解説・植林四本目篇